2006.03.04 Saturday
ロケ日記.1984.5.3
「ライフワークの写真」について書こうと思う。「AMERICA」の様な作品群ではなく、 「広告ライフワーク写真」、はたして、そんんな言い方あるのだろうか?名作、出世作などと言う広告写真はこの業界にはあるのだが......。
1984年5月3日(木).PM4:00 成田、パンナムカンター前。022便でロサンゼルスに向おうとしている。多量の機材と多量のシューズを持っているので、税関で多少時間が掛ったが無事にチェクインして、ビールを飲み、ジンクスラーメンを食べている。(ジンクスラーメンとは、成田空港が出来た時からの習慣で、旅の無事だけでなく、良い仕事に必ず成ると願う、僕だけの御呪い)クライアント、アートディレクター、コピータイター、僕とアシスタントの5名。少ないスタッフだ。僕の一番好きな人数だ。フットワークが一番いい人数なのだ。出発前からどんどんやる気が出て來ている。
いい写真が撮れる予感が今からする。これからの旅の軽い打ち合わせをしながらビールを飲んでいる。軽い打ち合わせしか出来ないのだ。どんな絵にするかは、何ヶ月も前から机上でやって来た。今は空港に迎えに来るコーディネーターに目的の絵を撮る為に、ムダなく、どのルートを旅したらいいかを、端的に伝えられるかの打ち合わせしか出来ないのだ。フライト時刻まで、ビールを飲みながら「これから2週間、眠れない日々が続くな〜。」と考えている。
案の上、着いた日から一日半で、ミーティング、ルート決め、小道具買い集め、必要なリースをして大都会から離れた。帰ったら良いホテルに泊まろうと決めて、市内の宿泊は、気楽な「HILANND Motel」。三日目から、日の出から日の入りまで、ひたすら走り、ひたすら撮影した。気分は高ぶり、眠くなかった。
初日にドライレイクを目指して南東に向う、次の日は赤い谷、草原、荒野の道、鉄道、その次の日は田舎町、牧場、そしてデスバレーに入った。砂漠は絵にしなくてはならない一つのポイントだ。かなりの時間をかけて撮影した後、岩山に向う。ラスベガスで小休止。次の日はサボテン山、小川、湖、さらにグランドキャニオン。そしてルート40を西に走りロスに帰って来た。8日間、北へ南へ、東へ西へ、車の走行距離は1000マイルを越えていた。35m/mポジ、250本。もう一つの別の仕事を終えて、スタッフの五日後に021便で日本に帰った。
上がりのポジを見るだけで丸2日間。全てのポジにその時感じた、光り、影、色、天気、ドラマチックな写真が写っていた。三日後のクライアントプレゼン、スライドショー。皆なに受けた、喜んでもらえた。いろいろな物に使うと約束してくれた。二年間分の雑誌広告、カタログ、その他の印刷物に使用する量をクリァーする事が出来たのだ。
その夜、スタッフと夜遅くまで飲んだ。酒がやたら旨く、全然酔わなかった。若くタフだった。ロケ日記の最後の晩に書いていた、今日の成功を予感している文を思い出しながら、いつのまにかカウターで寝ていた。幸福だった。一つのロケが終り、次ぎのロケ準備の為の眠りなんだと思いながら寝ていた。その晩は、これから15年間。2年に1度のペースの海外ロケと17年間の掲載の広告写真を撮るクライアントになるとは考えもつかなかった。ロケ場所だけでも、カリフォリニア・アラスカ北部・ナッシュビル・シアトル・アラスカ南部・ニュージー ランド北島・ニュージーランド南島・アタランタ。この仕事は「ライフワーク広告写真」と言っていいのではないか?写真は一貫していて、誰が見ても目羅写真と解るモノだ。皆さんはどう思いますか?
クライアントはセダークレスト(ミドリ安全)。ポスター、雑誌広告、カタログ、POP、全ての写真を一人のカメラマンが撮ったのです。34才から51才まで。心から感謝している最高のクライアントです。スタッフにも、勿論ありがとう。
1984年5月3日(木).PM4:00 成田、パンナムカンター前。022便でロサンゼルスに向おうとしている。多量の機材と多量のシューズを持っているので、税関で多少時間が掛ったが無事にチェクインして、ビールを飲み、ジンクスラーメンを食べている。(ジンクスラーメンとは、成田空港が出来た時からの習慣で、旅の無事だけでなく、良い仕事に必ず成ると願う、僕だけの御呪い)クライアント、アートディレクター、コピータイター、僕とアシスタントの5名。少ないスタッフだ。僕の一番好きな人数だ。フットワークが一番いい人数なのだ。出発前からどんどんやる気が出て來ている。
いい写真が撮れる予感が今からする。これからの旅の軽い打ち合わせをしながらビールを飲んでいる。軽い打ち合わせしか出来ないのだ。どんな絵にするかは、何ヶ月も前から机上でやって来た。今は空港に迎えに来るコーディネーターに目的の絵を撮る為に、ムダなく、どのルートを旅したらいいかを、端的に伝えられるかの打ち合わせしか出来ないのだ。フライト時刻まで、ビールを飲みながら「これから2週間、眠れない日々が続くな〜。」と考えている。
案の上、着いた日から一日半で、ミーティング、ルート決め、小道具買い集め、必要なリースをして大都会から離れた。帰ったら良いホテルに泊まろうと決めて、市内の宿泊は、気楽な「HILANND Motel」。三日目から、日の出から日の入りまで、ひたすら走り、ひたすら撮影した。気分は高ぶり、眠くなかった。
初日にドライレイクを目指して南東に向う、次の日は赤い谷、草原、荒野の道、鉄道、その次の日は田舎町、牧場、そしてデスバレーに入った。砂漠は絵にしなくてはならない一つのポイントだ。かなりの時間をかけて撮影した後、岩山に向う。ラスベガスで小休止。次の日はサボテン山、小川、湖、さらにグランドキャニオン。そしてルート40を西に走りロスに帰って来た。8日間、北へ南へ、東へ西へ、車の走行距離は1000マイルを越えていた。35m/mポジ、250本。もう一つの別の仕事を終えて、スタッフの五日後に021便で日本に帰った。
上がりのポジを見るだけで丸2日間。全てのポジにその時感じた、光り、影、色、天気、ドラマチックな写真が写っていた。三日後のクライアントプレゼン、スライドショー。皆なに受けた、喜んでもらえた。いろいろな物に使うと約束してくれた。二年間分の雑誌広告、カタログ、その他の印刷物に使用する量をクリァーする事が出来たのだ。
その夜、スタッフと夜遅くまで飲んだ。酒がやたら旨く、全然酔わなかった。若くタフだった。ロケ日記の最後の晩に書いていた、今日の成功を予感している文を思い出しながら、いつのまにかカウターで寝ていた。幸福だった。一つのロケが終り、次ぎのロケ準備の為の眠りなんだと思いながら寝ていた。その晩は、これから15年間。2年に1度のペースの海外ロケと17年間の掲載の広告写真を撮るクライアントになるとは考えもつかなかった。ロケ場所だけでも、カリフォリニア・アラスカ北部・ナッシュビル・シアトル・アラスカ南部・ニュージー ランド北島・ニュージーランド南島・アタランタ。この仕事は「ライフワーク広告写真」と言っていいのではないか?写真は一貫していて、誰が見ても目羅写真と解るモノだ。皆さんはどう思いますか?
クライアントはセダークレスト(ミドリ安全)。ポスター、雑誌広告、カタログ、POP、全ての写真を一人のカメラマンが撮ったのです。34才から51才まで。心から感謝している最高のクライアントです。スタッフにも、勿論ありがとう。
